訪問診療導入におけるトラブル事例、ソーシャルワーカー役割とは
- 恭祐 昼八

- 8月2日
- 読了時間: 3分

みなさんいつもお世話になっております、今日は少し重たい話題である
とある訪問診療導入のケースについて、後日、MSWシンポジウムでの当院の発言が話題に上がり、こんなコメントが寄せられた。
「逢縁クリニック・橋本先生の発言には全く賛同できません、患者の訪問診療が、当院に連絡もなく包括支援センターと逢縁の間で勝手に決まっていた、MSWがいたらこんな乱暴なことにはならなかった、橋本先生の発言を聞き、これはクリニックとしての方針だと理解した」
このような声に、いくつか思うところがある。
まず事実として、包括支援センターのスタッフは“勝手に繋げた”わけではないし、我々もテキトーに受けたわけではないのである。
患者さんの状態や生活背景から、明らかに通院継続が困難であったこと。
ご本人・ご家族・包括支援センターの相談のもと、適切な医学的判断を持って訪問診療へ切り替えたこと。どのケースも、制度上も倫理上も筋の通った対応である。
ではなぜ「乱暴な対応」と映ったのか。
それは、相手側からしたら「こちらに連絡がなかった」という一点に尽きる。
確かに事前の“お伺い”があれば、もう少し気持ちよく話が進んだかもしれない。 ただし、それは“理想”であって“義務”ではない。
病院同士のお伺いがあるかどうかは困っている患者さんには関係ないのである。
そして、重要なのは、「このような状況をMSWがいれば防げた」と他責にする発想ではなく、 どうして患者さんが病院側に相談できなかったのか、 なぜ包括支援センターが直接つながざるを得なかったのか、 という“連携上の課題”にこそ目を向けるべきではないか、ということだ。
もし病院側が、患者さんや家族にとって相談しやすく、在宅医療についてもタイムリーに情報提供できる窓口になっていたなら、そもそもこの問題は発生しなかった。
にもかかわらず、「うちにMSWがいなかったせいだ」「他が勝手につなげた」と責任を外に向けている、こんなことを問題視して躍起になっている状況は地域の医療の質自体へのデバフ感が強すぎて非常に遺憾である
なお、今回の発言はシンポジウムという“オープンな対話の場”でなされたものだ。 その場で周囲の意見を聞いていたのであれば、「なぜそのような連携が起こったのか」「訪問診療につながった背景は何か」とファクトチェックの質問を投げかける機会はいくらでもあったはずだ。
そのプロセスを踏まず、後から匿名で石を投げるように批判だけをする姿勢に、ソーシャルワークの本質が宿っているとは到底思えない。
「ソーシャルワーカーとしての誇り」があるのであれば、まず対話のテーブルに着く勇気を持ってほしい。
シンポジウムの中でソーシャルワークをするについて発表していた時間があったとおもうが正にこういうことであると強く感じる
患者さんの生活は待ってくれない。 医療の常識も、現場の感覚も、時代とともに変わっていく。
その中で、誰が正しいか誰が悪いかではなく、どうすればもっとよい医療連携になるのかを考えることが、我々ソーシャルワーク・在宅医療の担い手に求められている。
「話してくれてよかった」 「助かった」
そう言ってもらえるケースを1つでも増やすために、今日も現場で動いている人たちがいる。
その努力に、水を差すのではなく、光を当てる対話をしたい。





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